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My Integration日本学 教員インタビュー

日本仏教美術の研究を
ベースに、
海外の研究者
との課題の共有を。

03
大学院文学研究科・文学部 教授

長岡 龍作 NAGAOKA Ryusaku

「美術」を手掛かりとして人間にとっての「宗教」の意味に迫る。
「美術」を手掛かりとして人間にとっての「宗教」の意味に迫る。

私の専門は「東洋日本仏教美術史」です。「美術」への関心とともに「宗教」に対する関心があり、美術は宗教を考える上できわめて有効な手掛かりになると考えています。美術史の中には、仏像を彫刻(美術)としてだけ見る研究者もいますが、それでは宗教上の意味が抜け落ちてしまいます。かたちは意味とともに生まれるのであり、研究を通して仏像が本来持っていた意味を明らかにする、というのが私の基本的なスタンスです。

具体的なテーマを挙げると、第一に「宗教における美術の役割」があります。仏教には、「この世」と「あの世」という世界観があり、さらに、「この世で救われるのか」「あの世で救われるのか」という救済観の問題もあります。現代人にとりあの世での救済にはリアリティがないかもしれませんが、宗教をつくり出した人々のほとんどは来世の存在を信じていました。美術には、見えない来世を見えるようにする、あるいは、見えない来世にどうやって行くのかという手段を提供する役割があると考えています。視覚的なメディアである仏教美術を手掛かりとして、仏教の救済観や他界観を明らかにしたい、そして、人々が仏教美術を作り続けてきた切実さに迫ってみたい、そう考えています。

第二のテーマが「美術にあらわれた仏教思想」です。日本固有の信仰である神道よりも、仏教の思想ははるかに深く巧妙であり、仏教の世界観は日本人のものの考え方に深く影響を与えています。仏教が各地に広がる中で、地域固有の伝統や習俗、視覚表現と出会い、仏教的なものの中に在地的なものが入ってくることになります。中国では、中国の伝統的な視覚表現と仏教の表現が習合し、日本では、すでに中国で習合をはたした仏教の表現を受容しているというわけです。日本の仏教美術について、その視覚表現はどこから来て、どんな意味を持つのかを解きほぐすこと、それが第二の関心事です。

仏教美術を考える時、特にその空間に関心を向けています。仏像の内側(胎内に納められた納入品)と外側(寺院・お堂)の分析、さらには、聖なるもの(仏舎利など)を入れる「器」についての研究です。そのため、インドやスリランカ、東南アジアなどでも調査をしています。

日本の仏教美術研究の成果をヨーロッパのキリスト教研究に接続したい。

私が関心を持っている研究テーマは、その関心をそのまま他の地域に持ち込むことが可能です。中世以前の日本宗教美術研究からは、普遍的なテーマと方法が拾い出せるはずです。日本学国際共同大学院では、従来型の関心の持ち方である「地域研究としての日本学」に加え、特に「視点・方法論としての日本学」を重視し、研究を進めていきたいと考えています。

具体的には、特にヨーロッパのキリスト教研究に私の関心を接続して問題を共有することができると考えています。そこでは、「救済と美術」「聖地と美術」という共通したテーマで共同研究に取り組んでいきたいと思います。また、胎内納入品に明確な宗教観が込められている日本の仏像への関心は、キリスト教圏の「聖遺物研究」に通ずる可能性があります。美術を「描写」としてのみ捉えるのではなく、「聖性を帯びたモノ」として捉えることにより、こうした方面での共通した問題についても考えてみたいものです。

日本学国際共同大学院では、ヨーロッパを中心とする多くの大学と連携し、教育を展開していきます。世界美術史(グローバル・アート・ヒストリー)として語られる「美術史」は、影響関係や地域性を超えた問題意識に根ざして成立しており、その意味では、日本以外の地域、特にヨーロッパのキリスト教美術研究に接続して課題を共有することが可能なのではないでしょうか。

問題意識、方法とスキルを世界の学生と共有する場をめざして。
問題意識、方法とスキルを世界の学生と共有する場をめざして。

美術史という学門分野で研究の前提となるのが、モノ(オブジェクト)を扱うスキルです。日本の仏像という固有のモノが持つ特性が、日本以外の地域の宗教像とどういう共通性・差異性を持つのかを問うことも興味深い課題の一つです。

中世以前の宗教美術を研究する立場からは、その分野で見出される問題群が、その後の時代、あるいは他の文化圏の問題とどう連続性を持っているかを考え、それらの問題が、自身と異質な文化の所産ではないことを理解してほしいと思います。すなわち、キリスト教文化圏からの学生とは、特に「神」・「仏」という見えない存在がいかに表象されてきたのかをともに考え、アジアからの学生とは、共通した文化基盤から発生する問題についてともに探究していくことが期待できます。

美術は、それ自体で独立した存在ではなく、「美術の場」に立ち戻って考究する必要があります。日本美術を学ぼうとする学生には、美術が生きた場を経験してもらうことで、美術が人の営みとともにあったということを理解してもらいたいと思います。

日本学国際共同大学院では、「表象」「資本」「共感」の3つのコースでそれぞれの研究を深めていきます。目に見えないものを見えるようにするという表象機能は、特に宗教美術にとって普遍的な仕組みであり、こうした問題についての基本的な方法論を学ぶことは、その後の研究の礎となることでしょう。問題意識、そして方法とスキルをさまざまな地域の学生と共有する場となること、それが日本学国際共同大学院への私の期待です。

歴史的な分析を通して、人間にとっての「美術」を理解する。
歴史的な分析を通して、人間にとっての「美術」を理解する。

日本の仏教美術についての研究は、海外ではアメリカを中心に取り組まれています。ヨーロッパの場合、浮世絵を中心にしたジャポニスム研究の伝統はあるものの、仏教美術への関心はそのルーツに向けられ、日本の仏教美術への研究上の関心は高いとは言えません。中国では近年、仏教思想と美術の関係への関心が高まりつつあるものの、仏像研究は考古学の一分野としておこなわれてきました。中国の場合、彫刻としての仏像は失われ、遺された仏像の多くは石窟の中にあるので、中国での仏像研究は考古学によって主導されてきたのです。一方日本には多くの仏像彫刻が残り、「日本自体がひとつの博物館である」と言われるほどです。

6世紀末以来、日本では主体的に「美術」が生み出されてきました。そのこと自体が、人間がいかに美術を必要としてきたのかということの証左でもあります。8世紀には、聖武天皇が国家を挙げて大仏を造立しました。これを単なる政治の所産としてではなく、信仰の遺産としても理解したいと思います。仏像は、第一に視覚芸術ではありますが、その素材(銅・土・漆・木)にもきわめて重要な意味があります。美術を成り立たせる要素を歴史的に分析することこそが、人間にとって「美術」(アート)とは何だったのかを理解する基本です。それは、イメージの果たす力の大きい現代社会においても必要な作業であり、美術史の学びにはそうした意義があるのではないでしょうか。

Profile
  • 東北大学文学部・大学院文学研究科教授。文学修士。
  • 東北大学大学院文学研究科博士課程後期3年の課程退学後、東北大学文学部助手、東京国立文化財研究所情報資料部主任研究官、東北大学文学部助教授を経て現職。
  • 主な研究分野:日本彫刻史・仏教美術史
  • 文学研究科 教員プロフィール